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神戸地方裁判所明石支部 平成3年(ワ)113号 判決

原告

山本つや子

竹内夕起子

長竹日出子

右三名訴訟代理人弁護士

古賀徹

中村文隆

松村廣治

被告

菅原信法

右訴訟代理人弁護士

松本健男

小長井良浩

西村文茂

主文

一  原告らの請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実および理由

第一請求

被告は原告らに対し、それぞれ金一〇〇万円およびこれに対する本訴状送達の日の翌日(平成三年七月三〇日)から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一争いのない事実

1  原告つや子は亡山本藤吉(以下「故人」という)の妻、同夕起子は同人の次女、同日出子は同人の三女であり、原告らおよび故人はいずれも日蓮正宗(以下「本宗」という)の信徒である。

2  被告は、本宗の末寺である、被告肩書住所地所在の感応寺の住職である。

3  故人は平成三年四月一九日死亡し、同月二一日葬儀が行なわれた(以下「本件葬儀」という)。

4  被告は、同日、別紙1の報告書(以下「報告書1」という)を作成して、本宗の宗務執行機関である宗務院の庶務部長早瀬義寛に提出した。

5  被告は、同年五月初旬から六月初旬にかけて、報告書1および別紙2の葬儀報告書(以下「報告書2」といい、報告書1と合わせて「本件各報告書」と総称する)が表裏に記載された文書(以下「本件頒布書面」という)を感応寺一階受付カウンターに備え置き、同寺を訪れた者に頒布し、報告書1を記載した文書(以下「本件掲載書面」という)を右寺院内に掲示した(以下「本件頒布行為」、「本件掲示行為」といい、右両行為を「本件各行為」と総称する)。

二争点

1  原告らの主張

本件各行為は、原告らの名誉を毀損し、原告ら遺族の故人に対する敬慕の念ないし宗教的感情をいたく傷つける文書を不特定多数に頒布し掲示した行為であり、不法行為に該当する。

2  被告の主張

本件各行為の当時、創価学会(以下「学会」という)は、「学会葬」等と称して、本宗の教義に反する僧侶によらない葬儀を組織的に推進していたところ、本件葬儀は右「学会葬」であり、被告は、右葬儀形式に対する批判文書として報告書1および2を作成し、頒布掲示したものであり、故人および原告ら遺族に対する中傷誹謗を目的とするものではなく、本宗の僧侶としての宗教活動として、正当な職務行為であり、記載内容および頒布掲示方法のいずれにおいても名誉毀損となるものではなく、本件各行為は不特定多数の者に対する摘示行為と言うこともできない。

第三事案に対する判断

一被告は、本訴請求は、その判断の前提として、本件葬儀が本宗の教義上許されるか否かという宗教上の判断を要するものであり、右判断は、憲法二〇条および宗教法人法一条二項に基づき、裁判所の裁判権の及ばない論点を対象とするものであり、これは要するに、信教の自由として認められる宗教行為の当否の判断を求めるものであって、許されないと主張するが、原告らは、被告が右信教の自由として認められる宗教行為の限界を超えた不法行為を行なったと主張するものであり、右判断の前提として、被告主張の宗教上の判断を要するものとは認められないから、右主張は理由がない。

二名誉毀損の存否

1  事実

証拠(〈書証番号略〉、原告日出子、被告)によれば、左記事実が認められる。

(一) 故人は原告ら家族とともに、昭和三二年九月四日本宗に入信し、同時に学会にも入会した。故人の死亡当時、同人は学会本部指導委員、原告つや子は学会播磨圏総合指導長、原告日出子は学会播磨圏婦人本部長、原告夕起子は同明石支部婦人部長の各役職にあった。

(二) 感応寺は昭和六三年本宗の末寺として創建され、被告は右創建と同時に右住職に就任し、それ以来故人および原告ら家族は同寺の直属信徒となった。

(三) 本宗の宗規上、「住職主管は、寺院教会を管掌して、財産を管理し、法要儀式を執行し、檀信徒を強化育成し、在勤僧侶及び寺族を教導し、その他の寺院協会の興隆発展に努めるとともに、その責に任ずる。」等と(第一七〇条)、「信徒は、信徒名簿に記載され、本宗の教義を信奉し、寺院または教会に所属し、その永続維持を助ける者をいう」とそれぞれ規定されている。

(四) 本宗と学会との間に平成二年紛争が起り、本宗は、同年一二月二八日学会名誉会長池田大作を本宗総講頭に再任しなかった(以下「本件紛争」という)。その後平成三年二月ころから、従前本宗僧侶を導師として行なってきた学会会員の葬儀につき、本宗の僧侶によらない形式が各地で行なわれるようになった。

(五) 原告つや子、同日出子は、平成二年暮れころから本宗と学会間に本件紛争が起こって以来、被告が講話等の宗教活動の際に学会およびその会長池田大作に対して批判的発言をしてきたことに起因して、故人が被告に対し批判的な感情を有していたことを知っており、かつ同原告らも被告の学会批判を不愉快に感じていたため、平成三年一月ころから感応寺に行かないようになったものの、故人の死亡当時、同人および原告ら家族は感応寺から離脱する意思表示はしていなかった。

(六) 故人は平成三年四月一九日午前九時死亡し、原告夕起子は被告に対し、同日正午過ぎころ、故人の葬儀に僧侶として出席するように電話で依頼し、被告はこれを承諾したところ、その後原告ら故人の遺族間で協議をした結果、故人の葬儀を僧侶の出席しない家族葬として行なうことを決定し、同日午後二時ころ、原告夕起子が被告に電話で右依頼を撤回し、被告もこれを了承した。

(七) 原告らは、その後協議のうえ、葬儀を主宰すべき導師として、故人の年来の友人である参議院議員寺井英治(以下「寺井」という)に依頼することとし、学会幹部を通じて依頼したところ、同人もこれを了承して、同月二〇日、原告方を弔問に訪れた際に、葬儀の式次第を原告ら家族と協議した。

(八) 原告らは、明石市大久保町江井ケ島一六三九所在の明石ベルコ会館において、原告つや子を喪主として、同日夜、播磨圏総合長渡辺登志尋らを導師として通夜を、翌二四日正午、学会会員ら約六〇〇人の参列の下に、寺井を導師として葬儀を各行なったが、その際、僧侶の出席がなかったことにより、本宗の葬儀において通常行なわれる導師御本尊を設置することができず、位牌も受けることができなかったため、これに代えて故人方にある御本尊を祭壇に掛けて葬儀を行ない、かつ戒名は受けなかった。

(九) 被告は、原告夕起子が前記依頼を撤回したことから、原告らが故人の葬儀を本宗の承認しない僧侶抜きの葬儀すなわち学会葬を行なおうとしていると予測していたところ、本件葬儀後に、故人の通夜および本件葬儀に出席した感応寺信徒山元鹿男および中西洋子から、その状況の報告を受け、故人とは姻戚関係にない学会幹部を導師とする本件葬儀は本宗の容認できない学会葬であると判断して、同月二一日夕方報告書1を作成し、新聞記事のコピーを貼付して、宗務院に対しファックスで送付した。

(一〇) 被告は、本件葬儀のような学会葬に対する本宗の認識を明確にして、その信仰上の誤謬を明らかにすることにより、感応寺の信徒(約五〇所帯一〇〇人)が学会葬を行なわないように戒めるとともに、学会会員が勇気をもって学会から脱会するように呼びかける目的で、同年四月二二、三日ころから、感応寺の二階本堂に通じる階段踊り場に報告書1を新聞紙一面の大きさに拡大コピーして掲示するとともに、同寺受付カウンターに備え置き、感応寺を訪れた信徒、学会会員らに対し頒布した。

(一一) 被告は、その約一週間後に、本件掲示書面中の故人名、配偶者名および住所記載部分を、黒色マーカーで塗りつぶした。

(一二) 被告は、同年五月二日、西平住夫ら信徒から、感応寺が高額の葬儀料をとる等の噂が流れていることの報告を受け、学会側の者が感応寺につきデマを流していると判断して、報告書2を作成し、報告書1と同様の方法で宗務院に報告のうえ頒布し、その後しばらくして、本件各報告書を表裏にコピーした本件頒布書面を、同年五月下旬まで、右同様の方法で感応寺を訪れた信徒、学会会員らに対して頒布し、頒布総数は報告書1のみのコピー分と合わせて約一二〇枚にのぼった。

(一三) 本件葬儀は明石地区においてはじめて行なわれた、直属寺院の僧侶を導師としない葬儀であり、本件葬儀以降は学会会員の葬儀は概ね同様の方法で行なわれている現状にある。

2  判断

(一) 名誉毀損に当たる行為は、(1)当該行為が公共の利害に関する事実にかかり、(2)もっぱら公益を図る目的に出た場合において、(3)摘示された事実が真実であることが証明されたとき又は行為者がその事実を真実と信ずるについて相当の理由があるときは、違法性を欠き、不法行為にならないと言うべきである。

(二) 報告書1

(1) そこでまず報告書1につき見るに、前記認定の事実によれば、本宗と学会との間の本件紛争が始まった直後において、被告は、学会の播磨圏幹部会員である原告らが一旦は本件葬儀の主宰を被告に依頼しておきながら、短時間の後に右依頼を撤回したことに加えて、故人の通夜および葬儀に出席した者から前認定の報告を受けたことから、原告らが学会の指導の下に、本宗の僧侶である被告を排除して、学会幹部である寺井が主宰する学会葬を明石地区において初めて行なったと判断し、右事実を報告するために、報告書1を作成して、宗務院に送付したうえ、僧侶の主宰しない葬儀は本宗の教義上許されず、したがって成仏も成り難いと考え、感応寺の信徒が今後本件葬儀の例にならわないように教導するため、報告書1を利用して、本件各行為を行なったことが認められる。

なお、本件葬儀につき、被告は学会幹部の指導する学会葬であると主張するのに対して、原告らは家族葬であると主張するが、本件葬儀に対する被告の批判の要点は原告らが所属寺院の僧侶によらぬ葬儀を行なった事実にあると考えられるうえ、本件葬儀が、本件紛争の最中に、学会幹部の葬儀として、僧侶を排して、学会幹部を導師に迎えて行なった事実に照らして、本件葬儀が純然たる家族葬であったと言うことはできず、かつ原告らは、被告が本件葬儀を本宗の非難する学会葬であると判断する可能性を十分予測できたと考えられるから、右事情の下において、被告が、本件葬儀につき、一旦は被告を導師に迎えることにしながら、学会幹部の主導の下に学会葬に変更されかつ執行されたと考えても無理はないと言うべきである。

また、原告らは、教導の第一の対象は原告らである筈なのに、原告らに対し本件葬儀に関し教導を行なった事実はないから、本件各行為は教導を目的とする行為ではないと主張するが、被告としては、本件紛争の最中に、学会の幹部である原告らは、感応寺の直属信徒としてひとまず本件葬儀の主宰を被告に依頼しておきながら、その直後にこれを撤回した事情に徴して、原告らに直接翻意を促し、あるいは本件葬儀のあり方を後日批判する方法をとらず、感応寺の信徒として被告の指導の下にとどまる者に対して、本件葬儀のあり方を批判して、一般的な教導を行なうべきであると判断したとしてもやむを得ないと言うべきである。

さらに、原告らは、本件葬儀は純然たる私的行為であり、原告らがどのような形式で葬儀を執行するかは原告らの自由であると反論するが、葬儀形式の決定が遺族の私的行為であることはもとよりそのとおりであるが、報告書1の主眼点は、宗務院および感応寺信徒に対し、本件葬儀の状況を知らせるとともに、僧侶によらぬ葬儀の異常性を訴えることにあり、原告らに対し本件葬儀を行なったことを批判することにはないことは明らかであるから、右反論は理由がない。

以上の諸点を勘案すると、被告の報告書1に関する本件各行為は、原告らを非難することを目的とするものではなく、感応寺住職の立場において、本宗を信仰する直属信徒に対する教導を目的として行なわれたものであり、広義において公共の利害に関する事実にかかり、かつもっぱら公益を図る目的に出たものと解するのが相当である。

(2) 次に、報告書1に摘示された事実が真実であるか否かを見るに、原告らが虚偽と主張する部分は概ね報告書1の「通夜の様子」以下の記載であると解されるところ、そのうち、寺井が式場到着後「お寺さんに頼んでないのか」と怒鳴った事実は本件全証拠によってもこれを認めることができないが、その余の記載は、いずれも単なる出来事の客観的な記述ではなく、本件紛争において、本宗側に立つ感応寺信徒の観点における故人の通夜および葬儀に対する印象および認識に関する報告に基づいたものであることが認められ、本宗信徒の立場に立脚する限り、従前行なわれてきた葬儀の形式を廃して、導師御本尊および位牌がなく、僧侶も出席しない葬儀を初めて眼のあたりに体験したことを考慮すると、右信徒らが、僧侶以外の者によって主宰される本件葬儀の雰囲気を異様に感じ、弔辞に哀悼の念以外の心情の吐露を感じとったとしても無理はないと言うべきである。そうすると、前記1冒頭掲記の各証拠によれば、原告ら遺族および学会会員の立場から見る限り本件葬儀が整然と行なわれた事実は認められるものの、右印象および事実認識は必ずしも本宗信徒の出席者の前記印象・認識と矛盾するものとは言えないと言うべきである。

また、寺井の前記行動に関する記載についても、前認定のとおり、原告らは一旦は被告に本件葬儀の主宰を依頼しておきながら、その直後に右依頼を撤回した経緯に基づいて、被告において、右行動に関する報告を真実であると信じたとしても無理からぬところであると考えられる。

以上によれば、本件においては、報告書1に摘示された事実が真実であることが証明され、もしくは少なくとも被告がその事実を真実と信ずるについて相当の理由があると言うべきである。

(3) さらに、原告らは、本件各行為は、本件葬儀を主宰した原告らの社会的評価、学会内部での評価を毀損し、かつ原告らの名誉感情を損なうものであると主張する。

しかしながら、民法七二三条にいう名誉とは、人がその品性、徳行、名声、信用等の人格的価値について社会から受ける客観的な評価、すなわち社会的名誉を指すものであって、人が自己自身の人格的価値について有する主観的な評価、すなわち名誉感情は含まないものと解すべきであるところ、原告らは、本件紛争のなかで、本宗側が、学会の会員による僧侶によらない葬儀を学会葬と名づけて、本宗の教義を逸脱する謗法行為として激しく非難していることを知悉し、かつ本件葬儀当時まだ感応寺の信徒の資格を保持しながら、家族葬の形式を選んだものであり、その際、原告らにおいて感応寺住職である被告に対し家族葬を選択した理由を説明しなかったこと、および原告ら自身および葬儀の主宰を依頼した寺井が学会の幹部であることに照らして、被告が、本件葬儀を学会葬であると判断して、本宗の教義に依拠して、本件葬儀を批判する行為に出ることは十分予測できたものと考えられる。

また、本件各行為は、主として感応寺を訪れる感応寺信徒および学会会員を対象として行なわれたものであり、本宗および学会に無関係な第三者の眼に触れる方法でなされたものではなく、かつ本宗を信仰せず、事情も知らない第三者にとって、報告書1は宗教上の紛争に関わるものであることが記載内容から分かる程度で、それ以上の理解および評価は極めて困難であり、かつ必ずしも関心をひくものではないうえ、原告らが報告書1記載の形式の葬儀を行なった事実が原告らに対する社会的評価を低下させるとは考え難い。一方、本宗を信仰する者にとっては、極めて多数の者が参加した本件葬儀が明石地区で初めて行なわれた非僧侶主宰の葬儀であることはほとんど公知の事実であったと考えられるうえ、本件紛争のなかでは、本宗側に立つ者は、本件各行為によらずとも、原告らの本件葬儀を批判することは明らかであり、一方学会側に立つ者は、本件各行為が本宗側の不当な非難活動であると考えて、報告書1の記載によって原告らに対する社会的評価および学会内部での評価を低下させることはないと考えられるうえ、原告らの右評価が現実に本件各行為によって低下した事実を認めるに足る証拠はない。

さらに、原告らは、本件各行為によって故人に対する敬慕の念および宗教的感情を傷つけられたと主張するが、前判示の事情の下では、原告らは、自ら選択した葬儀形式が本宗の容認するものではないことを知悉し、かつ本件葬儀に対して本宗側から批判、非難を受けることも予測しながらも、本件葬儀の形式が個人の成仏に支障をもたらすものではないことを確信しつつ本件葬儀を執行したことが推認されるから、原告らにとって謂われなき批判にすぎない報告書1の記載によって、原告らの故人に対する敬慕の念および宗教的感情を著しく傷つけられたとは考えられない。

以上によれば、本件各行為によって原告らの名誉が毀損された事実を認めることはできず、原告らが報告書1の記載により不愉快な感情を抱いたとしても、前認定の事情の下では本件各行為を不法行為と認めることはできないと言うべきである。

(4) 以上によれば、報告書1に関する限り、本件各行為を不法行為と認めることはできない。

(三) 報告書2

(1) 原告らは、報告書2につき、原告夕起子において家族葬で行なうことを理由に被告に対する依頼を断っておきながら、家族葬ではなく、学会葬として行なったうえ、虚偽の噂を流したと記載しており、右文脈に照らし、原告らが虚偽の噂を流したと非難するものであると主張し、被告は、報告書2は、学会に対する批判を記載するもので、原告らが虚偽の噂を流したと非難するものではないと反論する。

そこで、報告書2を見るに、(a)第一行目から第五行目までは虚偽の噂の流布の報告(以下「本件噂」という)、(b)第六行目から第一二行目までは被告の経験の報告、(c)第一三行目から最終行までは、本件葬儀を学会幹部が主導する学会葬であるとの判断、かかる学会葬儀を主導する学会幹部に対する批判、および学会会員に対する呼びかけから成っていると考えられるところ、(a)および(b)部分には本件噂を流布させた者の指摘はなく、(c)部分には、本件葬儀を主導し、かつ本件噂を流布させた者が学会幹部である旨の主張が明確に記載されていると認めるのが相当である。

そうすると、(c)部分の文脈に照らして、報告書2の作成者が、本件葬儀を、原告ら、故人の遺族の主導によるものというよりは、学会幹部の主導によるものと考えていることが記載上認められ、先入観のない第三者が報告書2を読んでも、同書面記載の「山本家」の家族が本件噂を流布させた主体であると読み取ることは困難であると言うべきである。

もっとも報告書2作成当時、本件噂が現実に流布していた事実は証拠上認められないと言うべきであるが、以上によれば、報告書2は学会に対する批判、非難であることは明らかであって、報告書2の記載内容およびその頒布行為によって、原告らの名誉が毀損された事実は本件全証拠によってもこれを認めることができない。

以上によれば、その余の点につき判断するまでもなく、報告書2の頒布行為につき、原告らに対する不法行為が成立する余地はないと解するのが相当である。

(裁判官三谷博司)

別紙1報告書

平成3年4月21日

宗務院 庶務部長

早瀬義寛殿

兵庫県明石市魚住町住吉2丁目27番地

感応寺 住職 菅原信法

創価学会独自による葬儀について

4月19日、午前9時半過ぎ、喪主の娘〔本部婦人部長〕より葬儀依頼の電話あり、日曜日に当たることなので、他の予定を検討し、『12時より葬儀開始』と予定に組み入れた。

午後2時、家族でやりますので、先程の件はお断わり致します。と電話あり。

その後、通夜・葬儀に出席した人より逐一報告が入っておりますので、以下御報告致します。

山本藤吉氏(やまもと・とうきち=明石市選管委員、元明石市市議)十九日午前九時半、急性心不全のため明石市大久保町大窪二五二〇の神明病院で死去、七十二歳。揖保郡新宮町出身。葬儀・告別式は二十一日正午から明石市大窪町江井島一六三九、明石ベルコ会館で。喪主は妻つや子さん。

1、故人名 山本藤吉 享年72歳

2、死亡年月日 平成3年4月19日寂 午前9時半

3、住所 明石市大久保町山手台

4、喪主 山本つや子〔圏婦人部指導員〕娘〔本部婦人部長〕

5、通夜

20日19時・導師=渡辺登志尋〔播磨総合長〕

21時・導師=岸田副会長

6、葬儀 21日12時・導師=寺井参議

《通夜の様子》

葬儀会館にての儀式ゆえ、祭壇は正宗形式で御厨子に、故人宅の御本尊を掛け、位牌は無し

お経は、方便品・寿景品・唱題…合わせて15分〔1回目〕

参列者は、導師御本尊・位牌の無い異様な通夜に驚くと共に、故人に対し哀れみを感じた。との報告があった。

《葬儀の様子》

葬儀開式10分前、寺井参議到着、導師を勤める旨の連絡が無かったとみえ回りの者に『お寺さんに頼んでないのか』と大声でどなる。何んとなれば今回の葬儀には、明石市市長・市議会議長等、外部より市の名士多数参列あり、在家の身で葬儀を勤める事への抵抗か、カリカリしての葬儀執行、亡き人の成仏は如何? 祭壇には不釣合いな小さな御本尊・位牌無しの状態で導師座に着いた寺井氏の心底は如何なものであったろうか、察しても余りあるものであろう。

弔辞に至っては地元県議が自ら涙を流しながらの哀音を奏でる始末、この異様な葬儀を目の当たりにした参列者の一人は、終了後すぐに脱会届を夫婦揃って書きに来た次第。

葬儀は終始ざわついていたとのこと。今後の成り行きを見守って行きたい。

別紙2葬儀報告書(2)

明石市大久保・山本家の葬儀の件で下記の噂が流れているのでここに事実をお知らせ致します。

◎、感応寺に葬儀を依頼したら断られたから自分たちで勝手にした。

◎、葬儀をお願いしたら、50万円請求されたから断って学会葬でした。

上記のような噂が流れているが、何れも真実に非ずウソそのものであります。

真実は、3月19日午前9時半過ぎ(この時間は亡くなった直後と思われる)喪主の娘さんより葬儀依頼の電話が入った。執行予定日が日曜日ということもあり、他の法事等の時間も考慮に入れ、昼12時より葬儀開始と決定した。(葬儀はこの時間で執行された)

然るに葬儀依頼のあった朝より5時間程たった後、又、娘さんより電話があり「家族葬で行いますので、先程の件はお断り致します。」と

人それぞれ信仰の自由は、憲法で保証されている故、御寺側としては、これ以上何も言うこともなくその侭にしておいた。

然るに当日の葬儀は、家族葬に非ず学会葬として行い、その上、上記のような噂を流しお寺側に全責任を被せ、ウソにウソを塗り重ねての卑劣なデマ宣伝で会員を洗脳し、事実を隠蔽し、真実を聞かせまいとする今日の学会の姿は、大幹部が率先してウソをつき弱者を苛めるヤクザ教団と化してしまった感を強く抱くものである。

このようにウソを平気でつく教団の大幹部が、導師を努める葬儀、『佛と申すは正直を本とす。故に曲がれる女人は佛になるべからず』(法華経題目抄)-946-の御金言にてらし亡き人は、成仏出来るのであろうか。ウソを平気でつく・曲がれる人達の題目では、到底成仏は不可能であろう。

況して『即身成仏の御曼茶羅』の御加護を否定し、「御本尊は皆一緒だ」と言う愚かな信心をもって可とする“未得己得の慢心者”斯様な輩の信心で、死者を弔う愚行に対して純真な会員諸氏は、一日も早く正しい信心に目覚められんことを祈る次第であります。

平成3年5月2日

兵庫県明石市魚住町住吉2丁目27番地

感応寺 住職 菅原信法

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